私は絵画的思考を題材にアニメーション映像の制作してきた。
キャンバスに構図があるように、テレビにもフレーム(枠)があり、モチーフに前後関係があるように、アニメーションにもレイヤー(階層構造)がある。

絵画とアニメーションの構造に共通する点が多いのは、描くという行為だけでなく、
アニメーションや映像の歴史が、絵画とは切り離すことができない点にあるからではないからだろうか。

私はモチーフの持つ既存の「動き」を、ゲームを模した8-bit調の映像にのせ
「バグ」として逸脱させることで、絵画的な構造を垣間見せる試みをを行ってきた。

今作「world is mine」(1)は某RPGゲームの主人公を主題にしている。

主人公のキャラクターはゲームの世界内を移動しているように見えるものの、常に画面の中心に身を据えている。
それは見方を変えれば、常に定位置で足踏みを続ける主人公のキャラクターを中心に、世界の方が動いていると言える。
延いては、プレイヤーの操作対象は、主人公のキャラクターではなく、ゲーム内の世界そのものなのだ。
私はこの映像作品の作者として、ゲーム内の世界そのものを任意にゆがめることを試みた。

フィールドを解体し任意にスクロールさせることで、焦点が分裂し、
もはや主人公のキャラクターは座標として画面の中心に存在する目印でしかないと言える。

「Center of the world」(2)では別の視点から中心についての制作を試みた。
同ゲーム内を隈無く歩き回り、画面をつなぎ合わせ、世界地図を作成。
すると、この世界内の中心が必然的に導き出されることとなった。

キャンバスという窓枠にトリミングされた、絵画における中心とは一体なんなのだろうか。

 

TERATOTERA祭り@西荻窪 『西荻映像祭 - TEMPO de ART -』 展覧会キャプションより抜粋

 

10/04/2012 奥田栄希


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